一護が頭を打ってから三日、目を覚ましてから二日が経っていた。其の間一護は卯ノ花に綿密に検査を受け、頭部強打による一時的な記憶喪失だと診断された。一護は、自分が人間であり死神でもあることは勿論、自分の名前すらも覚えていなかったのだった。当然、記憶を失う前に剣八と恋仲であったことなども忘れている。其の為、自分がどうしてこんな怖いおっさんと一緒に居なければならないのかも分からない状態だ。記憶を早く取り戻せるようにと、周りから提案されたのは元の生活と同じことをするというものだった。がしかし、いくら元の生活と同じことをしろといっても、記憶をなくした状態で現世に返すことなどできるわけがないので、せめて尸塊界に居る間一番長く居た剣八と一緒に居るように言われたのだが…。
「………。」
「…………」
(────…気まずい…)
記憶がない為、一護は何を話せばいいのかも何をすればいいのかも分からず、かといって皆が自分を気遣って出してくれた提案を無駄にすることもできないので逃げる事も叶わず、剣八と一定の距離を保ちながら十一番隊の隊主室で気まずい時間を過ごしていた。剣八は剣八で、記憶をなくしている一護にどう接していいのか分からず、一護と同じように暇を持て余していた。
「──…なぁ」
「なんだ」
このまま無駄な時間を過ごしたくなかった一護は思いきって剣八に話しかけた。
「──…えっと、おっさんは…」
「剣八だ」
「………剣八…サンは」
「サン付けなんかすんじゃねーよ。気色悪ィ。」
「…更木隊長?」
「喧嘩売ってんのかテメェ?!」
「ひっ」
いきなり怒鳴られて一護は肩を撥ねさせた。提案した呼び名を悉く否定され、其の上霊圧を上げて怒られ、困惑しながら怯える一護。そんな様子に気付き、バツが悪そうに剣八は目線を逸らした。
「──…剣八だ。」
「え?」
「だから、サン付も隊長も要らねぇ。呼び捨てでいいっつってんだよ。」
ガシガシと自分の頭を掻きながら、剣八は目線を逸らしたままそう言い放った。
「え…でも隊長格相手に呼び捨ては…」
戸惑いながら一護は言うが、剣八はあっさりとその言葉を覆した。
「隊長格だろーが副隊長だろーがテメェは全員呼び捨てにしてたぜ?女相手にゃサン付だったがな。」
「うわ…そうなんだ…。」
記憶なくす前の自分はなんて命知らずなんだと、其の時初めて一護は自分を怖いと思った。
「──…で?」
「え?」
いきなり質問を返され、何のことだか分からない一護は小首を傾げた。
「え じゃねーよ。何か聞きたい事があったんじゃねーのか。」
剣八にそう言われて一護は自分が声を掛けたことを思い出した。
「あ、そうそう。何でそんな変なアタマしてんのかなーって思って。」
「悪かったな変なアタマで。」
一護は素直に疑問を述べただけなのだが、それがまた剣八をムカつかせた。
「や、だって、そんな剣山みたいにツンツンしてるし、先っちょには鈴までついてるし…。それって寝る時はどーしてんだ?」
「髪を分けてんのは鈴をつけやすいよーに。鈴は戦闘ん時により楽しくする為だ。まぁ、大抵の奴は鈴の音なんざ聞こえねぇくらいに恐怖に圧されてるがな。寝るときゃ普通に外すさ。」
他の奴が同じ台詞を吐けば、問答無用で切り倒されても文句は言えないようなことも、剣八は一護だからこそ丁寧に説明した。
「え?マジで?一回解いてみしてよ。髪下ろしたトコ見てみたい!」
今まで怖がって震えていた一護が、打って変わって嬉々として剣八に擦り寄ってくる。無意識に誘っているようにしか思えない態度をとる様は、記憶を無くす前と何ら変わらず、これが天然なのだと剣八は改めて実感した。
「なぁ、ダメ?ねっ見してよお願い!」
腕に縋るように袖を引っ張り懐いてくる一護にしょうがねぇなと剣八は髪を下ろして見せた。
「うっわ…全然印象違ぇな。なんかこっちの方がカッコイイわ。」
一護のその感想に、剣八は目を見開いた。
「………カッコイイ?」
「あぁ!なんか、俺はこっちの方が好きだな」
その台詞は、初めて剣八が一護を組み敷いた次の日、髪を下ろしていた剣八を見た一護がいった台詞と全く同じものだった。やはり、記憶などあろうがなかろうが同じ人間に変わりはないと、剣八は思わずには居られなかった。
「──…触ってみてもイイ?」
剣八を怒らせないように様子を伺いながら、一護が聞く。
「…あぁ。」
剣八が短く答えると、一護は嬉しそうに手を伸ばして剣八の髪に触れた。
「わ…スゲェ。思ったよりもサラサラしてんのな。」
意外にも手を流れるようにサラサラと落ちていく髪を掬いながら、一護は感嘆の声を洩らした。其の感触を擽ったくも心地好く感じていた剣八は、自然に目を閉じた。
「あんなにツンツンしてっからもっと堅いのかと思った…。 なぁ、どうやって髪固めてんの?」
「霊圧。」
「うそっ!マジで?!スゲェ───!!!」
「嘘に決まってんだろ。」
「んなにっ?!」
一護の不満の声を受け流しながら、剣八は一護の手を取った。
「髪固める整髪材があんだよ。お前の世界じゃ何て言ったか…。確か、ワックスだっけか。」
「ふぅーん…」
現世の記憶もないのでそんな説明をされても分からない一護は、分かったような分からないような返事を返した。そんな一護を見て,剣八は確かそんなことも話したっけか…と思い出していた。其の時も一護は剣八の同じ嘘を信用し、同じ様に憤慨していた。其の時の一護の顔を赤くして怒る様を思い出し、剣八は小さく笑みを零した。
「──…何笑ってんだよ。」
少し拗ねたように言う一護が何故か可愛く思えて、剣八は一護のオレンジ色の髪をくしゃりと撫でて言った。
「いや?どんなんなってもお前は変わらねぇなと思ってよ。」
─────ドクンッ
其の時の
剣八の笑った顔が
自棄にカッコ良く思えて
一護の心臓が音を立てて撥ねた。
途端に心臓から湧き上がってくる何かを一護が理解する前に、剣八の手が一護から離れて。咄嗟に一護は其の手を掴んだ。
「どうした?」
「っえ? あ………」
剣八が其の意図を問うても、自分でも何故そうしたのか分からない一護は、うろたえて手を離した。其の事が急に恥ずかしく思えてきて、一護は視線を逸らして赤くなった。離れた手を今度は剣八が取り一護を自分の方へと引き寄せた。
「──誘ってんのか?」
耳元でそう囁かれ、一護はビクッと身体を揺らしたが直ぐに手を突き返して剣八の腕から遁れようとした。
だが、そんな一護の抵抗も易々と受け流され、剣八の首に一護の腕が回され、抱きついているような形になった。
「遠慮すんなって」
「──だから違──…っ」
首に回した手を離すどころか逆に引き寄せるように力を込めてしまった一護は、首元に掛かる剣八の吐息にも肩を震わせた。
「──一護…」
「───…っ」
耳元に落とされた剣八の低音美声が頭に直接響き、一護の理性を崩していく。剣八が一護の頬に手を掛け、唇が触れる直前───
「隊長!一角です!この間の遠征の報告書が出ていないとのことで書類を取りに参りました。入室しても宜しいでしょうか?」
薄い襖の外から一角の声が響いた。其の声で正気に戻った一護は、バッと剣八から飛び退いた。
(──…何…だよ…?今の…)
冷静になって初めて一護は先程の感覚を恐いと思った。未だにドクドクと脈打ち続ける心臓。耳元で囁かれただけで力が抜けて身体中が泡立った。身体の中心から広がっていく熱と、頭の中を焦がす程の衝動。目が眩み頭が麻痺する感覚───…。
(知らない…)
一護は思わず自分の身体を抱いた。
(俺はこんな感覚知らない───…!!!!)
けれど、身体の方が勝手に反応した。身体は剣八を求めていた。これが身体が覚えているということなのか。頭は全然ついていっていないのに、身体が自分を置いていく。その事実が、一護の不安を掻きたてた。
青褪めてカタカタと震え出した一護に、剣八は手を伸ばそうとしたが、
「──隊長?居ないんですか?」
外から聞こえた一角の言葉に、剣八はチッと舌打ちをし、手を下ろした。
「入れ。」
「失礼します。」
スッと襖を開け、一角が入ってきた。
「? なんで隊長髪下ろして──あーまた、サボってましたね?一護と遊んでもいいから書類は片付けて下さいって言ったじゃないですか…」
溜息を吐きながら一角は剣八に書類を渡した。剣八は其れを受け取り、渋々と机につく。
「るせぇよ。元々俺ァ戦闘専門なんだ。書類なんざかったるくてやってられっか。」
「んなこと言って結局俺と弓親が処理しなきゃいけなくなるんじゃないですか。…ん?どーした一護?そんな隅に寄って…」
部屋の隅で呆然と立ち尽くしていた一護を不審に思い、一角が声を掛けた。
「っえ?あ…いや、何…でもない…」
急に話を振られ、一護は弾かれたように顔をあげた。しかし、すぐに一角から目を逸らし、また俯いた。
「本当か?」
「本当だって。」
まだ疑い深く聞いてくる一角に、慌てて笑顔を作り手を振って誤魔化した。その一護の様子を見て、剣八と何かあったな…と悟った一角は、とりあえず一護を落ちつかせるために、暫く剣八と距離を置かせようと考えた。
「あー…じゃあ、悪ィけどさ、一護ちょっと出てくんね?」
「え?」
一角の突然の提案に訳が分からず、一護はきょとんとした顔を向けた。
「オイ、一角」
「だあって一護が居たら隊長仕事しないでしょ。その書類だって至急って言われてるんですよ。一護と居たかったらまずは仕事の方を先に終わらせてください。」
「──チッ」
多少強引なところはあるが、一角の言っている事は正論だ。剣八は渋々承諾した。
「え、でも、俺何処に行けばいいんだ?」
記憶をなくしているため、以前誰と仲が良かったのかも分からない一護は困惑した。記憶がなくなってから今まで自分を尋ねてきた人は山ほど居るが、元々人の顔と名前を覚えることが苦手な一護には、誰が誰なのかも分からなかった。無論、ただでさえ人気のある一護だ。さほど仲が良かったというわけでもない人からも声を掛けられている。その数を調べれば50を優に越えるだろう。覚えられるわけがない。
「んー…恋次や修兵とは仲良かったんじゃねェか?殆ど喧嘩友達みてぇな感じだったけどよ。」
「レンジ?と…しゅーへー??」
一角が思い当たった人物を挙げるが、やはり一護は思い出せないようだった。“?”を頭上に浮かべて首を捻る。
「あぁ、六番隊と九番隊の副隊長。」
「ゲッ!!」
(仲良い奴が副隊長格かよ?!恋人は護挺十三隊最強の十一番隊隊長だし、一体俺ってどんな奴だったんだよ?!)
あまりの事実に、一護は記憶を取り戻すのが怖くなった。
「…ほ、他には…?他に仲良い奴居なかったのか?」
流石に副隊長に声を掛ける事が躊躇われた一護は、他の人のところへ行こうと思った。
「んー…後は、十番隊の日番谷さんかな。下の名前で呼んでたし。」
「マジで?!俺ソイツんトコ行くわ。下の名前なんてーんだ?」
「あ?確か…『冬獅郎』だったような…」
「『トーシロー』…十番隊だなっサンキュー一角!!」
「あっオイ!!」
完全に日番谷をヒラだと思い込んだ一護は、一角の声も聞かずに隊主室を飛び出していった。
「…十番隊が何処にあんのか知ってんのか?アイツ…」
一角の疑問は一護に届く事無く、隊主室に虚しく響いた。
-続-
はい、話がややこしくなってまいりました〜v途中で「え、エロ入んないの?!」と思った方、スミマセン…。ってかまだ続きます…。