伸ばした手は、届かなかった...
「──…ええっと、ドコデスカココ…」
一角の不安的中。案の定一護は迷っていた。唯でさえ広い瀞霊挺内だ。例え記憶があったとしても、迂闊に歩き回れば迷うだろう。一護はキョロキョロと周りを見回しながら歩いていた。
「あら?黒崎じゃない。」
「? 誰ですか?」
突然頭上から声を掛けられ、一護は首だけを向けて聞き返した。
「乱菊よ。十番隊副隊長松本乱菊。」
勿論乱菊の耳にも一護の記憶喪失のことは入っているため、気分を害する様子も見せず、乱菊は丁寧に答えた。
「松本副隊長?」
「やだ、『乱菊』で良いわよ、余所余所しい。何やってんの?こんな処で。」
一護の呼び名をさり気なく(以前より親しげなものに)訂正しながら、乱菊は一護に聞き返した。
「えー…っと、『トーシロー』に会いに行こうと思って十番隊を探していたんですが、迷ってしまいまして…」
自分が迷子だと認めるのが恥ずかしいのか、一護は目線を逸らして頬を指で掻きながら答えた。
「アラ、こっちは正反対よ。私も今から隊舎に帰るとこだったし、一緒に行く?」
「本当ですかっ?!有難うございます乱菊さん!!」
一転して嬉しそうな表情を見せる一護に、乱菊はクスリと笑みを零した。
(素直で可愛いのは相変わらず健在か…)
「乱菊さん、早く早くっ!」
下の方から一護は乱菊を見上げ、早く行こうと急かした。その子供のような姿に苦笑しながら、乱菊は瞬歩で一護の元へと行った。
「じゃ、行きましょうか。」
一瞬で目の前に現れた乱菊に驚く一護の手を引いて、乱菊は十番隊舎へと足を進めた。
「松本です。唯今戻りました。失礼します。」
「入れ」
十番隊主執務室の前で丁寧に挨拶をし、乱菊は一護を連れて中に入った。
「隊長ーvv黒崎が隊長に会いたがってたんで連れてきましたよーv」
「っえ?!」
「────は?」
中に入った途端に乱菊が日番谷をからかうように言った。その言葉に一護は驚き、日番谷は呆れたように疑問符を浮かべた。
「ぇえ?!ちょっと待って乱菊さん!俺が会いに来たのは『トーシロー』じゃ…」
『トーシロー』に会いに十番隊舎まで来たのに、何故それが十番隊隊長になるのか、一護は全く分からなかった。そんな一護に、乱菊は『何言ってるの?』というような顔で一護を見る。
「だから、十番隊隊長 日番谷冬獅郎サマ。」
乱菊は日番谷に手を向けて、一護に日番谷が十番隊の隊長であることを告げた。
「───っハァ?!何だよソレっ!!聞いてねぇぞ!!騙しやがったな一角っ!!!」
「……誰も教えてなかったのか…」
副隊長二人と話すのが怖かったから日番谷に会いに来たのに、選りにもよってその日番谷が隊長格であったことにショックと戸惑いを隠しきれない一護に対し、日番谷は冷静に状況を判断し、溜息を吐いた。
「で?何の用で俺んトコ来たんだ?今は更木んトコに居る筈じゃなかったのか?」
まだパニクってる一護に、日番谷は話を促した。
「あ゙───…、えっと、剣八んトコに居たら、一角が来て俺が居ると剣八が仕事しねぇから誰かんトコ行ってくれって言われて…」
「それで俺んトコに来たのか」
「だって…前は仲良かったって聞いたから…」
たじたじとここに来た理由を話す一護の様子を見て、剣八と何かあったな…と悟った日番谷は小さく溜息を吐いた。
「───…で、でも、冬獅郎仕事忙しそうだし、俺やっぱ別のトコ行」
「松本、茶二つ持ってきてくれ。」
「はーい。分かりましたー。」
一護の言葉を遮り、日番谷は乱菊に命令した。それまで二人のやりとりを楽しそうに見ていた乱菊は、給湯室へと足を進めた。シカトされたと思った一護は文句を言おうと日番谷の方を向いたが、日番谷が何事もなかったように書類に目を通し始めたので、一護はまた俯き踵を返した。
「何処行くんだ。」
ドアの方へと向かう一護に日番谷は声を掛けた。
「何処って…」
「俺と話があるから来たんじゃなかったのか?」
「でも…冬獅郎忙しそうだし…」
「構わん。丁度休憩に入ろうと思っていたところだ。折角松本に茶を入れてもらったところなのに無駄にする気か?」
日番谷は目を通し終わった書類を纏めながら一護に言う。その言葉を聞いて初めて今の「お茶二つ」というのが自分と日番谷の分だということに気が付いた。
「…俺、此処に居てもいいのか?」
一護が呆然と聞き返すと、
「此処以外に行くアテでもあんのか?」
日番谷はそう言って、シニカルな笑みを浮かべた。
「………どうしよう…。」
日が暮れるまで日番谷と他愛無い話題で語り尽くした一護は、もう遅いからと剣八のところへ帰るよう促された。元々剣八の傍に居るように言われていたので、最終的には剣八の部屋に帰らなければならない。しかし、昼間逃げるように剣八の所から出ていったため、帰るのが少し躊躇われた一護は、十一番隊の隊舎前でウロウロとしていた。
「ゔ───…。」
別に、剣八が嫌なわけではない。確かに最初は怖かったが、話してみるとそうでもなかった。言葉や表現は荒いが、人のことを真っ直ぐに見ていることも知った。自分に触れる時も、とても優しく大切に触ってくる。やちるが懐くのも十一番隊の隊員に慕われているのも、何だかんだ言っていても結局は面倒見がいいからだろう。
けれど、昼間のことを思い出すと、どうしても足が躊躇してしまう。本当に一瞬のことではあったのだが、自分を自分でコントロールできなくなる感覚は、やはり怖いものがあった。
まるで、自分を誰かに動かされているような───
ゾク…っ
そこまで考えて、一護は身震いをして自分の腕を抱いた。
(───…やっぱり、今日は冬獅郎に頼んで泊めてもらおう…)
十番隊舎まで戻ろうとして踵を返すと、一護は何かにぶつかった。
「ブッ!!」
こんなところに今まで無かった壁が急に現れるわけがないので、人にぶつかったんだと思った一護は咄嗟に謝った。
「──…す、すいませ…」
言いつつ誰かと思って上を見上げると、
「……テメェ…一体今まで何処ほっつき歩いてやがった…?」
剣八だった。しかも物凄く怒っている。
「…え…何処…って」
身体中にバシバシと感じる剣八の霊圧に気圧されながらも、「冬獅郎のトコ…」と言おうとする前に、剣八の肩口からやちるが現れた。
「いっちーが十番隊に行くまでに迷子になってないか心配だったから今までずぅ──っと探してたんだよっ!」
「……え…」
急に出てきたやちるの言葉に一護は驚いた。
「でも剣ちゃん方向音痴だから、いっちー見つける前に自分が迷子になっちゃったんだけどねっ!」
「ウルセェ!!テメェが適当な方向に指向けるからだろうが!!」
ケラケラと笑うやちるに剣八は照れ隠しのように怒鳴った。
(──…剣八が…俺を探しに…?だって、俺が出ていってから五時間は経ってんだぞ?その間ずっと、仕事もせずに俺を心配して走り回ってたっていうのか───…?)
一護は信じられないという目で剣八を見上げた。
「…何だよ」
その視線に気付いた剣八は、バツが悪そうに一護に聞いた。
「……剣八って、方向音痴だったんだな…」
「ウルセェよ。それがテメェを心配して走り回った奴に言う台詞か。」
「自分が迷子になってる奴に言われたくはねぇな。」
「んだと?!」
「──でも、サンキュ。」
一護は剣八を見上げてふわりと笑った。結果はマヌケな形になってしまったが、自分の事を思ってしてくれたことに変わりは無い。正直に、嬉しかった。
「──フン。さっさと戻んぞ。」
剣八は一護の頭をくしゃりと撫でると、隊舎に戻るように促した。今度は、一護も素直に付いて行く。
あんなに胸の中で燻っていた不安は、不思議と消えていた。
「え、俺こっちで寝んの?」
湯殿から上がってきた一護は、部屋に敷いてある蒲団を指差しながら剣八に聞いた。十一番隊舎内にある剣八の自室の内、寝室に一つ、その隣の部屋にもう二つの蒲団が敷いてあった。剣八は一護に、寝室の方で寝ろと言うのだ。
「…何か文句あんのか」
「いや、文句とかじゃなくて、そっちは誰と誰が寝るんだよ?」
元々自分と剣八が恋人同士であったなら、当然記憶を無くす前は一緒に寝ていたのだろう。まだ記憶が戻っておらず混乱している一護と同じ蒲団で寝ることはなくとも、同じ部屋ででは寝るだろうと予測していた一護は何故自分だけが違う部屋に寝なければならないのかが分からなかった。
「こっちには俺とやちるが寝る。」
「何で」
「いつもそうだからだ。」
訝しげに聞いてくる一護に、剣八はぶっきらぼうに答えた。
「剣ちゃんの嘘吐き──ィ。いつもいっちーと寝る時はやちるに『松本んトコに行け』って追い出すクセに〜」
「やちるは黙ってろ。」
ぶ──っっと不貞腐れるやちるを剣八は鋭い声で制した。
「ってことは前は一緒に寝てたんだな?」
一護は剣八に詰め寄った。
「………」
「なんとか言えよ!!」
質問に答えない剣八に苛立ち一護は声を荒くしたが、剣八は煩わしそうに言う。
「煩ぇな。グダグダ文句言わずにお前はそっちの部屋で寝ろ。」
質問を繰り返す一護を、剣八は冷たく突き放した。
───ズキッ
一護の胸に、刃物が突き刺さったような痛みが走った。喉に石が詰まったような感覚を覚えながら、一護は声を搾り出した。
「──な、んだよ…ソレ…。何でだよ!!」
「何ででもだ。」
それでも頑として応じない剣八に、とうとう一護がキレた。
「んだよっ!!だったら俺はやちると寝る!!!」
自棄になった一護はやちるを抱え上げ寝室の方へと足を向けた。
「やったー♪やちるいっちーと寝るー♪♪」
「──っソレは駄目だ!!」
やちるは喜んだが、剣八は座っていた窓枠から立ち上がってまでそれを拒否した。
「何でだよ!俺が誰と寝ようと勝手だろうが!!」
「駄目だ!!」
「だったら何で駄目なのか理由を言え!」
「煩ぇ!俺が駄目だっつったら駄目なんだよ!!」
「わっけ分かんねぇよ!!とにかく俺はやちると寝るかんな!こっち入ってくんな!!!」
「──一っ」
────パァン!!
「──クソっ!」
勢い良く閉ざされた襖に悪態を吐きながら、剣八は壁を叩いた。その衝撃で部屋がビリビリと震える。
──本当は、剣八も一護と一緒に寝たかった。しかし、同じ蒲団で寝れば襲ってしまうのは明白だった。かといって違う蒲団で寝ても、きっと傍に居るだけで理性など容易く崩されてしまうだろう。気休め程度にやちるを傍に置いていても、恐らくそれは変わらなくて。唯でさえ記憶をなくして不安定になっている一護に、自分勝手な理由で負担を掛けたくはなかった。それでも、やちると一緒に寝かせたくなかった理由は────…
自分以外の誰にも、一護を捕られたくなかったから。たとえそれが、やちるであったとしても…。
「──っ俺に、どうしろってんだよ……っ」
ギリギリと拳を握り締め、吐き捨てるように低く呟くと、剣八は踵を返し、部屋から出ていった。
「………剣ちゃん、行っちゃったよ…?」
自ら閉ざした襖に凭れ掛かり、やちるを抱えたまま動こうとしない一護を、やちるはそっと見上げた。
「………」
一護は困惑していた。剣八に一人で寝ろと突き放されて、まるで記憶を無くした自分は必要無いと言われたようで、悲しくて、淋しかった。さっきまでは、自分の知らない感覚に振り回されるのが怖くて剣八の傍に居たくなかったのに。剣八が自分の為に奔走したことを聞いて嬉しかった。なのに今は、少し剣八に突き放されただけなのに、頭がグラつく程心を乱されている。
「…んで……だよ…っ」
───どうして、こんなに苦しい…。
「いっちー?」
ズルズルとその場に座り込みやちるを抱き締めながら、一護は隣に居ない温もりに嗚咽を漏らした。胸の奥から這い上がってくる『何か』の名前も知らぬまま───…。
-続-
はい、ヘタレな剣ちゃんに乾杯!(ヘタレなのはテメェの頭だ)ってか、この回自分でも想定外の展開がてんこもりでした。一護は勝手に迷子になっちゃうし、乱菊さんとか出てきちゃってるし…。挙句の果てにはこんな派手に剣八と一護が喧嘩かますなんて…。………なんか無事に終わるのか心配になってきました。