糾弾
2.おにごっこ

 競り上がる恐怖と、痛み。もう何度、それを味わってきただろうか。分からないまま、奔り抜ける。

 逃げている。

 自分の息遣いが荒々しく耳に響く。心臓の音が、悪戯に焦燥を駆り立てて。後ろから迫る影を如何にか振り切りたくて、只管に駆け抜ける。
 嗚呼。
 今は唯、この感情を、お前が感じていないことを願うだけだ。


 影が、月明かりに佇む闇へと、掻き消えた。


...


 それから僅か30分前の話。
 一人の少年が、闇の被さる街中を駆けていた。何か、急いている様子ではない。しかし、周囲を気にしながら脚を早めるその所作は、少々周りから見れば違和感を感じる。しかし、他人に興味を向けることを意識的に止めたこの国の住人は、奔り抜ける少年に少しばかり怪訝な表情を向けるだけに終わる。

「……、  っ」

 一瞬、何かを呟いた彼の言葉は、彼が全力で走っているからなのか、はっきりとは聞こえなかった。

───ピィンッ

 唐突に、周囲に何かが張り詰める。其れは、限りなく緊張に近い、『殺気』。

(この、感覚…は──っ!)

「っクソ、しくった…っ!」

 焦燥感を露に、少年はその場で脚を地面に強く叩き付ける。その反動で、彼の身体は重力に逆らって宙へと身体を躍らせた。跳躍、というよりは既に、飛躍とでも言うべきなのか。人間業からは遥かに懸け離れた身体能力で月光による逆光を浴び、その瞬間、強く強くその存在は黒い夜空に存在感を焼き付けるのだが、その真下。
 道路に移る筈の影は、無かった。

 彼はこの世界に存在する『吸血鬼』と呼ばれる化物の最後の生き残りである兄弟の片割れ、黒崎一護という。元は日本人である筈なのに、それにしては珍しい鮮やかなオレンジの髪に、怪奇生物の特徴である赤い双眸。吸血鬼というイメージの服からは程遠い、黒のジーンズに黒のカッターシャツ。そして細身の体躯を包む、黒いファーが首元と裾、袖口についた白いコート。現世での服に違和感無く、しかし群集に溶け込めるには不十分無い服装であった。

「…Eins、zwei…drei、………acht…。8人、二小隊か。チッ、ナメてくれんのはいいんだけど、中途半端に厄介だな…。日本では派手に立ち回れねぇし…。どうするかな…。」

 一護は自分を追い駆けてくる『敵』の人数を空中から確認すると、奴等がまだ自分を見つけていないのを逆手に、夜の闇へと姿を変え逃走を図る。しかし、相手は自分の一番の天敵である協会の戦闘員、クルースニクの軍団である。闇へと身を隠したところで、彼奴等の能力をもってすればすぐに気付かれてしまうだろう。一番良いのは何処か、建物の中へと侵入して身を紛らわすことなのだが、自らの仲間は今、現在探している兄貴のみ。それ以外は、全員敵という最悪の状況で迂闊に建物へと身を隠せば、喩え相手が人間でも逆に捕らえられてしまうのがオチだろう。

「…クッソ。だから逃げんのは得意じゃねぇんだ…」

 隠れるだけにしても、逃げるだけにしても、自分という存在は、周りを殺傷することしか手段を持たないから。

 と。


「っ、あ゙、?」


 ほんの一刹那、意識を彼奴等に向けたその一瞬。

「──っが!」

 左肩に強い衝撃が走る。

(──っそ!)

 一護は今、影に『存在』を変形しているはずだ。影である以上、『肩』どころか『肉体』という概念すら無い筈のその身体に、確かに奔る痛覚。

(…こ、の…能力、はっ!)

 一護が、攻撃を放たれた背後に視線を送ると、案の定視界の端に映るのは、闇の中にも関わらず鮮やかに光る紅の長髪の男。

「───『血色の咆哮-RubyRoar』!」
「久しぶりだな。『無喰主義者-Vegetarian』」

 ひゅ、と風を切る音と共に右腕を流し自分の獲物の回収をする赤髪の男が、不敵に笑みを浮かべて言い放つ。RubyRoarの獲物で斬り付けられた時点で、一護は闇としての形状を保て無くなってしまったのか、人型の形態を徐々に現しつつ、しかし相手への警戒は怠らない。左肩の傷は既に吸血鬼特有の能力で治癒されているが、思わず右手でそれを庇うように押えてしまう。

「…やっぱ、テメェ、か…。」
「この日本で追っ手が2小隊って時点で気づけよ。確かに日本は『鋸草』の領域だが、テメェを追うためだけにたった5年で隊長格まで伸し上がったんだぜ?俺がテメェを…

逃すわけねぇだろうが。」

「───っ!!」

 冷静に放たれる言葉と共に繰り出された第二撃を身体を後方に反ることで躱わしながら、どうやって反撃しようかと思考を廻らせる。一呼吸だけ迷って、左手を右肘辺りで固定するように添えた。

「…身体変則式・6番-MetamorSechst…」

 キュィ…、と一護の右手が僅かに光ったように見えた。

「…『鋼鐡化-Steelify』」

 其の台詞を吐いた途端、右手の先から肘まで一気に色が象牙色から鉛色へと変わる。それをRubyRoarが視認したと同時に、RubyRoarの頚動脈にはチリッとした感覚。目を見開いて、思わず自分の首元へと意識を向けようとした刹那、目の前に『広がる』のは、

 オレンジ。

 5Mはあったであろう距離は瞬きの間に詰められ、RubyRoar左視界の端に僅かに映った彼の変形した右手の先には、赤い、赤い──

「くっ、そ!」

 確認などするまでも無い。鋼鉄に部分変形した腕で、左頚動脈を斬り付けられたのだ。幸い傷は浅いのか、出血は大したことないが、先手を打たれたことに変わりは無い。

「っ、ざ…」
「おっせーよ。」

 RubyRoarは自分の獲物を振りかぶり、第三撃に移ろうとするが、次の瞬間には右目を狙った突きが容赦無く炸裂する。

──ガキィンっ!

「──!」
「っ、!」

 しかし、次に響いた音は眼球を抉る音ではなく。

「──空間操作術式・二百六十五番!『螺旋雪壕』!!」

 高い声で詠唱される封印結界術と、鋼鉄の腕が氷で出来た壁に遮られる音だった。

「…後口述結界か。随分と高度な技を会得したんだな。」

 いきなり近距離から割って入るように始まった詠唱の方向へと一護が視線を向けると、僅か10M足らずの場所で、黒髪の少女が必死で札を翳し作った結界を支えていた。その少女に見覚えがあったのか、一護は驚きもせずゆっくりとした口調で少女に話しかけた。しかし、少女は一瞬顔を歪めただけで、すぐに詠唱の残りを口にする。

「…っ、『殺戮と寵愛の血石を砕き、薄氷の城跡に横たわる翼無き烏の礎に──』っ」
「でもな。」
「『我が羅刹の悲弾を』…っ?!」

──ひゅっ

「ぅあっ!!」

 少女が後口述結界の最終詠唱を終える前に、一護の右腕は氷の結界から外され、少女の右下段から斜めに入る手刀。思わず少女は避けようと詠唱を止め防御に入るが、パァンっという小気味良い音と共に弾かれたのは、目の前で少女が翳していた結界を保持するための『札』。

「…っ、あ…」
「後口述結界は術式発動の後から言霊詠唱を続けるため、その間の集中力を欠かれるか若しくはその結界の発動と保持を司る『札』を破壊されれば意味は無い。高々10M程度の『近距離』から繰り出すモンじゃねぇだろうがよ。」

 冷ややかな目で少女を見下ろす傍ら、一護の腕は鋼鐡化のまま、後ろからのRubyRoarの攻撃を片手で受け止めていた。今度はチラリ、と背後のRubyRoarを振り返り、ゆっくりと語る。

「元より人間の結界なんざ、絶対に攻撃を受けない射程範囲外の長距離から操り、挟み撃ちの形で攻撃組と連携を図るモンだろうが。

──『アレ』から5年も経ってんのに、何やってたんだよ。恋次。ルキア。」

「くっ、そ…!」

 恋次と呼ばれた赤髪の青年とルキアと呼ばれた黒髪の少女は、悔しそうに顔を歪めるも、何故だか何処か、懐かしさを堪え切れないような表情をしていた。
 そしてそれは、一護にしても、同じことで。


...


-続-


…終わりの目処立たねぇー…orz