その後、ルキアと恋次は一護を連れ、街の外れにある恋次の借家へと移動した。囮に使われた2小隊には、一護は一時捕虜として保護し、兄弟の居所を吐かせてから協会へと引き渡すと説明したが、その裏を分かっているのか居ないのか、2小隊の代表である理吉は「分かりました」とだけ言うと、笑顔で仲間を連れて引き下がった。
「…良かったのか?」
「何がだ。」
「や、だから、あんな中途半端な説明じゃ、アイツ等も納得しねぇんじゃねぇの?」
『捕虜』だというのに客間へと通され、ルキアの淹れたコーヒーを口にしながら、一護は少々不安そうに恋次に尋ねる。
「はっ。お前、自分の『称号』忘れたのか?」
「……そうじゃ、ねぇけどよ…。」
『称号』。協会の動きが活発化してきた頃から、中々『糾弾』出来ない吸血鬼に、本名ではない『称号』が与えられるようになった。最初は隊員の一部がコードネームや暗号、渾名程度に思って付けていたものが協会どころか、各国政府や位の高い人間にまで定着したのである。取るに足らない非階級保持者は『No-Name』と呼ばれるのに対し、一つでも称号を持つ者は『称号持ち-DegreeHolder』と呼ばれる。強い吸血鬼ほど称号の数が多く、称号を一つのみしか持たない者を『下段階級-LiwerClass』、称号を二つ以上保持している者は『上段階級-SuperiorClass』と呼ばれ、強さを区分される。LiwerClassは腐る程居たが、SuperiorClassの吸血鬼と成ると、世界中で吸血鬼が勢力を誇った時期ですら、10人と満たなかった。
そして、一護の称号は『無喰主義者-Vegetarian』唯一つ。紛れもない、LiwerClassであった。
「いくら最後の生き残りで、DegreeHolderだろうが、クラスがLiwerClassだったら其処まで厳重な警戒はされねぇよ。しかも、お前人間喰わないだろうが。」
「…あー…なるほど。害無し苦無し用無しで、超絶ナメられてるわけね。俺は。」
「何を言う。人間に危害を加えても居らぬのに、DegreeHolderであることの方が凄いのだぞ。それほど、協会も貴様の実力を認めなければならぬということだ。少しは誇りを持ったらどうだ。」
「いや、此処で誇り持たれちゃ駄目なんだって。協会側としては。」
「あ、そうか…。」
「ぶはっ!」
すまぬ、と申し訳なさそうにするルキアに、思わず一護が噴出した。そのまま、腹を抱えて笑い出す。
「なっ!笑うとは失礼だぞ貴様!」
「は、はははっ、わ、わり…や、だってまさか、『お前等』の漫才を、見れる日が来るなんて…っ!」
ルキアが顔を真っ赤にして怒り出すと、一護は眦に溜まった涙を拭いながら尚も腹を抱えている。その様子を見て、ルキアと恋次が互いに顔を合わせ、苦笑と共にどちらとも無く逸らす。
「…そうだよな。『あの時』は、お前を前にまさかこうやって笑えるなんて、塵ほども思わなかったからな。」
「『アレ』から、もう5年、か。ルキアも恋次もあんま外見変わらんねーから実感湧かねぇけど、もう、そんな経つんだよな…。」
「………。」
『あの時』、即ち5年前。
それは、一護とルキアと恋次が初めて邂逅を果たした日。その時、一護にとってルキアは飽く迄他人で、何処までも他人で、唯、同類に託された存在でしかなく。そして、恋次すらも、一護にとっては厄介な『敵』でしかなく。そして、もう一人。
あの時には確かに『此処』に居た『あの人』の存在は、この場所に僅かな名残だけを残して、消えたのだった。
「…俺はまさか、三つも称号を保持していて、尚且つ吸血鬼の一族の中でも人間の貴族の中でも最高位を誇っていた『白き賢人-BlancSavant』が、人間の少女を俺に託すなんて、爪の甘皮程も思ってなかったからな。」
「兄様のことを『称号』で呼ぶな。貴様は協会の人間ではないのだ。堂々と『同族』らしく、あの時のように名前で呼べばいいだろう。」
「本人が聞いてたら真っ先に俺が殴られるな。」
『人間』であるルキアが、『兄様』と慕って止まない『白き賢人-BlancSavant』という称号を持つ男。彼は、生涯を貫いて吸血鬼としての『眷属』を作りはしなかった。吸血鬼にとって眷属とは、自らに一番近い吸血鬼を作ること。それは、果て無き永劫と永久を生き抜く為に『契り』を交わした者を作るということ。…人間でいうのであれば、それは、限りなく『恋人』や『配偶者』に近い存在。大抵はどの吸血鬼もそう易々と眷属を作ることはしないが、それでも彼は、頑なに文字通り、死ぬその日まで眷属を作ろうとすることはしなかった。
「吸血鬼狩りが合法化されて、このまま全滅させられるだけならと、人間を自分の眷属にして巻き込もうとする吸血鬼は多かった。それがまた、人間への反感を多いに買い、教会の株を上げていく結果にしかならなかったけど、それでもあの人は、最後まで、誰に懇願されても作ろうとは、しなかったんだよな。」
「…懇願された相手が、永久にも近い生涯の中で、たった一人、愛した人だったとしても、な。」
「…………」
恋次の言葉に一護が静かに続けるが、ルキアはそれを、目を閉じながら静かに聞いていた。これも一種の成長なのだろうか。ルキアはついこの間まで、彼の名前や存在を掠めただけでも激昂して精神を取り乱していた。それなのに何故か今は、心穏やかにこの話を聞くことが、できる。
「…姉上は、最後まで『眷属』になることを望んでいたよ。このまま醜い姿で朽ち果てるよりは、兄様の眷属の吸血鬼となって、これまで孤独であった兄様の傍らに居続けたいと。…息を引き取るその瞬間まで、兄様に懇願していた。」
コトリ、と静かにテーブルにマグカップが置かれる。
「……それでも、それでも私は、姉上を『人間として』死なせてくれた兄様を、心の底から感謝している。そして、それは兄様が姉上を眷属とするのに嫌悪したからではなくて…
姉上を心から愛していた故にだと。そう、信じている。」
「当たり前だろう。でなきゃ、緋真さんが死んだ後も、ルキアを引き取ってたりはしねぇよ。」
「…あぁ。」
一護がしっかりとした口調で同意すれば、ルキアはこの家での彼とのことでも思い出していたのだろうか。とても幸せそうに、微笑んだ。
「んっとに、大した人だよな。お前を引き取った後も、『あの日』まで、…というより、寧ろ『あの日』ですら、お前をずっと護り続けたんだからな。」
あの日。
それは、この家が、家としての役割を果たさなくなった、その日のこと。
それは矢張り、5年前で。
この場所で。
『白き賢人-BlancSavant』その他二つの称号保持者、朽木白哉は『血色の咆哮-RubyRoar』の異名を持つ阿散井恋次に殺された。
…否、恋次は其の頃はまだ協会に入ったばかりで、クルースニクとしてのスキルもアドバンテージも何も無く、唯の一介の隊員として、この場所に派遣された小隊の一員に過ぎなかった。その恋次が、何故三つもの称号を持っている白哉を殺すことが出来たのか。その答えは、それが殆ど白哉の『自殺』に近かったからである。
それまで仏蘭西をルキアと逃げ回っていた白哉は、6年前に日本へと居住を移していた。そしてこの場所を買い取り棲家にし、二人でずっと、少なくともルキアが老いて死ぬまでは、と思ってはいたのだろう。しかしこの街に吸血鬼が住んでいるということを、何故か1年もしないうちに協会に嗅ぎ付けられることとなり、終には5年前のその日、白哉を殺す為にこの家に火が放たれた。時刻は午前4時。ルキアは当然眠りについている。そして、白哉も緋真を失ってからは殆ど吸血活動を行っていなかったため、当然の如く家にいた。その時間帯を狙って、協会側は火を放ったのだった。
吸血鬼にとって炎は、不死力に順ずる回復力と治癒力があるため、そこまで効果的ではない。しかし、直射日光と同じく損壊と治癒を繰り返せば、何れ回復回数が尽きて死に至ることは間違いないだろう。が、治癒力がある以上はその僅かな時間の間で外へと逃げれば良いだけの話。やはり、焼き討ちは吸血鬼にとってはあまり良い方法とはいえない。
そんなことは、聡明である白哉でなくとも、少し考えれば誰にでも予想のつく話。にも関わらず、白哉は火の放たれた家から逃げることをしなかった。
何故か。
恐らくは、気付いてしまったのだろう。何故、『午前四時』という中途半端な時間帯に、この家に火が放たれたのか、その意味を。
吸血鬼にとって焼き討ちが意味を持つのは昼間である。何故なら、炎から逃げ遂せたとしても日光が照りつける太陽の下では、矢張り灰になってしまう他ないからだ。では何故、白哉に限り焼き討ちをまだ夜の段階で行ったのか。理由の一つは、居場所を突き止めた以上は、逃げられる前に始末してしまおうという焦りからだろう。しかし、白哉にとっては、もう一つの理由の方が意味を持った。
それは、人間であるルキアが、『同居』しているのを見越して夜に火を放った、という可能性。
ルキアは人間である。如何したところで治癒は矢張り人並み。このまま業火に焼かれ続ければ火傷どころの話では済まないのは必死。そして、協会側は恐らく『白哉がルキアを棄てられない』ことも承知している。其の上での焼き討ちだろう。
協会は、どんなにその形が変わり、やり方が卑劣になろうとも、在ろうとする姿自体は設立してから現在まで唯一不変である。協会は、飽く迄も、何処迄も、『人間を守る』というそのためだけに存在する。
その、協会が。
『人間』であるルキアを、『見捨てた』。
そして、その原因は。誰が如何見ても明らかに。『白哉がルキアの傍に居るから』であった。
自分が心底愛した人から託された『妹』。これからの生涯をかけて『護る』と決めた存在が。『自分が原因で殺されかけている』。
その状況を、瞬時に理解して尚、ルキアを護って生き続けるという判断を、恐らく白哉は出来なかった。これがまだ、百年前であるならば、白哉も抵抗はしただろう。しかし、5年前というこの段階で、吸血鬼の人数は片手で数えて足る程にまで激減していた。それはそのまま、協会の強さを示している。地球上の何処に居ても協会の人間は世界中に根を張り、そして人間は余すこと無く協会を崇拝していた。そんな状況下で、白哉はこれ以上、自分の力だけではルキアを護りきることは出来ないと。悟ったのだった。
白哉が全てを諦め、唯ルキアを炎から護ることに専念したときに、炎を割って恋次が部屋に飛び込んできた。恋次の目的は唯一つ。『吸血鬼である白哉の首を取ること』。吸血鬼退治のポピュラーな方法の一つである。恐らく炎から中々出てこない白哉に業を煮やした上の連中が、『死んでも構わない』非力な隊員を選んだのだろう。恋次はそれを薄々勘付いていながらも、敢えて炎の中に身を投げた。それも全て、『吸血鬼』を、『殲滅』するために。
しかし。
恋次の目的は、炎の中で吸血鬼を見つけた途端に霧散する。
炎で家が崩れる中、吸血鬼の腕の中で抱かれた少女は、協会の人間が冷静に判断すれば吸血鬼が『食餌』の為に連れ込んでいたのだと思われても仕方ないだろう。しかし、恋次の目に映った吸血鬼は、如何見ても、少女を『護る』為に庇っているようにしか見えなかったのである。それまで恋次は協会に、只管吸血鬼は卑劣で冷徹で慈悲など持っているはずも無く、人間の形をしているだけの化物だと教え込まれていた。だからこそ、その光景は、恋次にとっては信じがたいものだったのだ。
炎により崩れた柱の下で、其の身を紅蓮に焼きながら、尚も泣き叫び吸血鬼の身を案じる少女を庇い続けるという、その光景は。
恋次が呆然と立ち尽くしていたその時に、いきなり視界に人が現れた。なんの前触れも無く。途轍もなく唐突に。それは、炎の中でも視認できる鮮やかなオレンジの髪を持ち、黒いファーのついた白いコートに身を包んだ吸血鬼。二言三言、白哉と言葉を交わしたその吸血鬼は、白哉とルキアを押しつぶす柱を軽々と持ち上げ、ルキアをまだ炎の届かない場所へと移動させる。ルキアは白哉と離れたくなかったのか随分と抵抗したが、難なく一護に手刀を喰らい、意識を飛ばした。
そして此処からは、ルキアは恋次からの報告でしか聞いていない、白哉の選択。
まず、白哉は一護にルキアを安全な場所へと移すことを頼んだという。掟や規則に厳しかった白哉は、当然禁忌を犯した一護を心象良く思ってはいなかった。しかし、そんな相手に任せてでも、白哉はルキアを護りたかっただろうことは、想像に難くない。心底心外だ、と全身で表現するように、それでも自分のプライドよりもルキアの命を選んだのだという。
そして更に、ルキアを最後まで護ると決めた、白哉の最後の選択。それは、真っ直ぐ恋次に向けられた、悲痛で痛切な頼みごと。
『自らの首を、ルキアの手柄で協会側へと引き渡す』こと。
吸血鬼側についてしまった人間が、これから先この世界の何処でも居場所は無いのだと、十分分かっていた白哉の、ルキアへの最後の贈り物のつもりだったのだろうか。自分が生きていることも、自分が誰かの手にかかって死ぬことも、どちらにしろ自分と長く居すぎたルキアには不利益にしかならない。ならば、自分の首は、せめてルキアの為にもぎ取ろうと。
それが、姉を奪ってしまった自分の、ルキアへの唯一の償いだと。
言って、それを恋次が受諾し、一護が見守った。落ちた首は、ルキアと共に協会へ。SuperiorClassの首を刈り取ったということで恋次は平隊員から一気に隊長格までスキップすることになり、それを「助けた」ということになったルキアは、協会側で処分を免れ再校正を受けることになる。その時点でルキアの精神状態は極限にまで衰弱し、一時は命が危なかったこともあったようだが、なんとか今の状態にまで回復し、現在では協会の戦闘要員として重役を任されるまでになったらしい。
自分と一緒に居るよりも、自分がルキアを逃がすよりも、『人間』の世界で生きていくことを選ばせた一護の判断は、果たして白哉の望む形だったのか。未だに一護は悩んではいたが、
答えはどうやら、この笑顔だけで十分らしい。
...
-続-
…どんだけ続くんだよ…orz