「阿散井隊長!此処等一帯の周囲半径3キロ以内全て探し尽くしましたが、一向に『無喰主義者-Vegetarian』の存在が確認できませんっ!」
「…建造物にでも這入り込んだか。半径5キロ以内に陣営を第42形態で組ませろ。誰かが『感知』し次第ルキアに連絡を取れ。」
「は。失礼ですが、阿散井隊長は…」
「すぐ行く。現場の指揮は俺が取る。其れまでに陣営を完成させておけ。良いな。」
「了解しましたっ!」
恋次の的確な指示の通りに隊員が部屋から出て行くと、ソファに座り込んでいたルキアに向き直る。しかし顔を向けることはせず、言葉だけでルキアに問いかけた。
「…さっき、一護に言った台詞…。どこまでが『本気』だった?」
「………」
ルキアが黙って俯いているのを見ながら、恋次はわずか半年前のことを思い出す。しかしすぐに首を振り、『現実』は目の前にあるのだと頭を切り替える。
「まァいいや。さっき通達した通り、俺は現場の指揮に移る。お前は此処で情報の管理を頼む。」
「…第42形態の陣営だと、一護は捕まらないことくらい、分かってるんだろう?」
「だからやるんだろ。」
「………」
沈んだ声で自分に問うてくるルキアの表情は、まだ読めない。
「…なぁ、恋次…。」
「なんだ。」
「…一体いつまで、こんな方法で、一護を逃がし続けることが出来るんだろうか…。」
「…………」
黒崎一護。
太陽の色を持ち、太陽を嫌う吸血鬼。
眷属は一人。主格に吸血鬼至上最強と謳われた『意識指揮者-Conductor』を持つ。
人を殺さない、吸血鬼。
そして協会は、人間を守るために設立された、吸血鬼を狩るための組織。
如何足掻いても、何れ自分たちも、彼を殺さなければならない局面に陥る。そんなことは分かっている。分かりきっている。…それでも。
「…それでも、やるって決めたんだろ。」
恋次はそれだけルキアに言うと、自分の獲物を握り締めてその場を去った。
「…一護………!」
ルキアの悲鳴にも似た叫びは、誰にも届くことは無く、
………、
『お兄ちゃん。くるしい?だいじょうぶ?いたい?』
『…心配、しすぎだ。だいじょうぶ。また、いっしょにあそべるから。』
『ほんとに?ぜったいだよっ 今度は、ぜったいおれと遊んでくれるって、やくそくだかんなっ!』
『うん。やくそく。』
『ぜったいだかんなっ!!』
建物に光が差し込む時刻。一護は廃墟となった病院の地下室で目を覚ました。此処で暫くやり過ごせば、また活動出来るだろうと思ったら、如何やら少し眠ってしまったようだった。
「…っかし…、目覚め最悪…。」
吸血鬼を含む化物や怪異生物の全てがゴシック主義ではないため、目が覚めて一番に視界に飛び込んでくる廃墟特有の荒んだ光景を見るのは正直心象晴れやかとは言い難い。はっきり言えば、気色悪い。しかも唯の廃墟ならまだしも、病院のそれも地下室と来ているのだから尚更だ。
しかし、目覚めが最悪だと言った一護の真意は、また別のところにあった。
「…時間帯、は…漸く朝、って処かな。暫くは動けないし…夜が来るまでに見つかったら厄介だな。」
吸血鬼は総じて例外なく日光が苦手だ。浴びるだけで灰になってしまう。この間にクルースニクに見付かってしまえば、自分にできる攻撃の範囲は恐ろしく狭い。対してクルースニクは不死力が低下する程度で、能力に大きな変化は殆どない上に、彼奴等は日光が平気と来ている。
「…どーするかな…。ヘタに動くと見つかりそうだしなー…。暫く此処で、大人しくする、か…。」
呟きながら、一護は空腹を感じ無意識に腹に手をやる。それから唐突に襲う睡魔に逆らえず、意識を失うように眠りについた。
...
ピーピーピー
ガラガラガラガラ…
「おい、輸血用の血液足りないぞ!A型RH-、至急5リットル用意しろ!」
「先生!心拍数80を切りました!」
「ヴァイタル急激低下!すぐに───
────…早く!!!」
不快に神経を逆撫でする電子音と、看護師と医師がバタバタと忙しなく動き回る病室の外。その情景を目に映すくらいしか出来ない俺は、廊下の椅子に座り込みながら、ぼんやりと力なく床を眺めていた。
「黒崎、至急オペの準備をしろ。」
「おう。今夜は第3が確か空いてたな?」
「あぁ。崎坂に言えば全て準備してくれる。」
「じゃあ、先に行ってるぞ。」
「石田先生、私は…」
「貴方は子供を見ていてください。ただ、恐らくもう2日と持たないだろう。ともすれば今夜も危ない。…こんなことは言いたくないが、覚悟だけは、しておくように。」
「はい…」
大人達が交わすその会話を、一体もう何度聞いただろうか。一番小さい記憶で3歳だ。それから12年間。事ある毎に耳にして来た。そして、その度に心臓を貫くのは、気が狂いそうなほどの、
喪失感。
「…一護。家に連絡して、焜に遊子と夏梨を連れてきて貰うようにお願いしてくれる?」
「…………」
「……一護…」
母さんが何かを言っている事は分かっていたが、それが何を指しているのか、誰に向けて言っているのか。まるで壁を二つ三つ隔てた向こう側から言われているようで、全く分からなかった。
恐らく、その時俺はもう、狂い掛けていたんだろう。
「一護、母さんは家に連絡してくるから。斬零、頼んだわよ?」
「………ざ、くろ……」
肩を軽く揺さぶられて言われた台詞も、『斬零』という単語しか入ってこなかった。
「黒崎君、第3オペ室へ移動します!」
病室から響いた声とストレッチャーが病室から出てくる音に、俺は反応するまま近寄って叫んだ。唯一人、俺の片割れ。双子の兄貴の、名を。
余りに興奮し過ぎていたからか、俺が発狂しそうだったからか、連れて行かれる斬零を必死で引きとめようと暴れだした俺はすぐさま周りのスタッフに抑えられて鎮静剤を打たれ、別室で眠ることとなる。
「…………、で、恐らく、明日の朝日は、もう…拝めないと、思います…。」
「…そ、んな………」
目が覚めたとき、暗い院内でまだ明かりが点っていた斬零の病室の近くの廊下で、兄の担当医と母さんが話しているのを聞いた。
嘘だと、思った。
斬零が、明日の朝にはもう居ないなんて。今夜で、死んでしまうなんて、嘘だと思った。なんてヤブ医者に当たったんだろう、と。やり場のない怒りを責任も罪もない他人に擦り付けていた。
斬零が生まれたときから長くはないと言われていたのは知っていた。生まれてくるには、生きていくには、斬零には足りないものが多すぎた。
身体の殆どが劣性遺伝子で成り立っている斬零。
医者からは、生まれたことが既に奇跡だと言われていた。よく、15年も生きた、と。色素細胞すらも持たされずに生まれてきた斬零には、髪の色どころか肌の色すらもない。皮膚の細胞が硬質化する頃には壊死しているらしく、爪はいつも墨のように真っ黒だった。
そんな状態で、今現在、生きていることの方が奇跡なのだ、と。
まるで、斬零を死んでいて当然のように扱う医者が、俺は心底嫌いだった。憎んでいた。…けれど。
俺が、一番この世界の中で憎んでいたのは、自分だった。
一卵性の双子として生まれたはずの俺と斬零。斬零は、本当なら腹の中で死んでいるはずだったのだそうだ。
バニシング・ツイン。
双生児の何割かに見られる、一方のみの流産。それに、本当は斬零はなるはずだったのだ、と。その途中経過までが、実際に観測されていた。それが何故か途中で止まり、俺よりも未熟児のまま斬零は生まれた。 …本当は、もう、分かっていたんだ。
母さんの子宮の中に居た頃。斬零が持てる筈だったものの全てを奪ったのが俺だってこと。
にも関わらず、子宮の中ですら、俺は斬零を其のまま死なせることが出来なかったんだってこと。
分かってる、んだ…。
大人の誰もが常識で否定しても、俺には分かる。俺は、自分が生まれてくるために斬零から何もかもを奪っておきながら、苦しむことになるって分かっていながら、斬零を死なせることすら出来なかった。
分かってるんだ。そして、多分、斬零も……
嘘だと。思った。
斬零が明日の朝にはもう居ないなんて。
今夜で死んでしまうなんて。
嘘だと思った。
嘘だと、思いたかった。
……思い、たかった………。
気がついたら、何故か病院を抜け出して、靴を履くことも忘れたまま知らない街の道路を駆けていた。夢中で走りすぎて、自分が病院からどの道をどうやって走ってきたのかも分からなかった。分からないまま、けれど脚を止めることはせず、ただ、只管に街を駆け抜けた。
「はっ、はぁっ、はぁっ、っは…、」
派手に肩で呼吸をしながら、俺はいつの間にか公園の中に立っていた。…というより、その場から動けなくなっていた。人が居たのだ。小さな公園の、真ん中に。遊具を避け、がらんとした公園の中心。そこに、人が居た。居た、というよりは、『倒れていた』、というのが正解か。うつ伏せに、黒いコートが汚れるのも構わず、その人は公園の中心で月明かりに照らされて倒れていた。
どうしてだろう。
何故だか如何して、倒れているだけのその人を、その時自分は、今まで見たどんな美術品よりも『綺麗』だと感じた。
今になって思えば、それはその存在特有の能力の一つだったのかも知れない。けれど、その時の自分には、そんなことが分かるわけもなく。その美しさに惹かれるままに、その存在に近づいていった。
「……なぁ、アンタ…何、してるんだ…?」
「…………」
倒れている人に対して『何をしている』も何もないが、そのときは頭が回らなくて、気の利いた台詞なんか出てこなかった。その人からの返事は無かったが、俺は構わずその人の傍らに膝を付いた。
「…どっか、怪我でもしたのか?なぁ、大丈夫、か…?」
「…………ろ」
「え?」
──ドンっ!
唐突に、俺は胸を突き飛ばされた。
相手は、言うまでも無く、目の前に倒れていた人。どうして突き飛ばされたのかが分からずに呆然とその人を見れば、途端に激しい咳き込みと共に大量の血を口から吐き出した。
「お、オイ大丈夫かアンタ──…」
「──っぅ、煩いっ!!ワタシに近寄らないでくださいっ!早く、ここからはな──げふっ!!っが、はァっ!ぅ、く───」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!アンタ、自分の状況分かって…」
「分かっているから言ってるんですっ!!今すぐに此処から離れて、逃げてクダサイっ!!早く!」
介抱しようと肩に手を回そうとするが、すぐに手を払い除けられて怒鳴られる。既に地面には大量の血溜まりが出来ていた。誰が如何見ても明らかに放ってなど置けない状況で、尚もこの人は介添えの手を拒絶し続ける。
「早く、早く此処から離れないと、アナタが危ない…最悪、死ぬことになるんですよっ?!」
「はァ?何訳分かんないこと言って──兎に角、アンタを病院に連れてくことが先だから、話はそれから…」
「違いますっ!!……よく、聞いて…クダサイ。」
「…?」
話なんか聞いてる状況じゃ全くないのに、余りにその人の態度が辛辣で、必死だったから、不審に思いながらも思わず俺はその人の言葉を待った。
「……ワタシは、人間じゃありません。…吸血鬼、です。」
「…………」
待って、返って来た言葉は、余りに馬鹿げていた答えだった。
「………はいはい。とりあえず救急車呼ぶんで、このままじっとしててくださいねー。」
「ちょっ!!なんか薄々予想しては居ましたけど、丸っきり信じてないでしょうアナタ!!」
「今の時代でそんなこと言って他人の気ィ引こうとしてる奴なんか滅多に居ないからなー。良かったなアンタ、俺が優しい部類の人間でよ。他の人だったらドン引きでこっから逃げてんぜ。」
「それはちょっと不本意ながら目的達成したことにはなりますけれども、如何してアナタは逃げようとしないんスか!」
「だぁーから、こんなヤバイ状況の奴放っておいて逃げるなんかできねぇだろ普通。」
「普通は逃げるってさっきアナタが言ってたじゃないスか!」
「『他の人』っつっただけで、『普通』とは言ってませーん。」
「うぅわ、なんスかその小学生レベルの揚げ足取り…」
「どうでもいいよ其処等辺は。つーか吸血鬼なんか妄想の産物だろ。ブラム・ストーカーがヴラド・ツェペシュとバートリ伯爵夫人を混合して作った『ドラキュラ』が発祥の──」
「残念ながら、其の話はフィクションでも、吸血鬼の存在自体は真実です。」
「…は、何、アンタマジでこんな話信じて…」
「証拠でもお見せしましょうか?」
余りに馬鹿げている会話を続けながら、それでもその人が余りに真剣な表情を崩さないので、本当にこの人は頭大丈夫なんだろうかと思っていた。しかし、その人の瞳が、月明かりの薄暗い中でも、何故かとても綺麗に──赤色に光っていて。何故かとても……
目が、離せなかった。
ゆっくり、とその人が自分の体調も何もかも無視して俺の手を振り払い立ち上がる。月明かりの逆光を浴びながら、それでも克明に浮かび上がるシルエット。
──バサリ、
と。
何処からか羽ばたくような音が聞こえて、俺はその存在に心情の全てを奪われる。
「、ァ……───…」
薄く、声を漏らしたのは、恐怖だったのか感歎だったのか、それとも…。
咄嗟のリアクションなど取れるわけもないほど、はっきりと。その人の背中から、真っ黒な、蝙蝠を模したような羽が、翼が、生えていた。
ふと、視線を落として気付けば。
逆光を浴びて自分の方向に伸びるはずの彼の影は、何処にもなく。
「……改めて。ワタシの名前は浦原喜助。"協会"からは『意識指揮者-Conductor』等とも呼ばれてますが、詳細は省略。
──ワタシの存在が『理解』できたのなら、早々に此処から立ち退いて頂くことをお勧めします。」
今更だと言わんばかりの自己紹介を、彼は何より悲しそうな笑顔で、俺に告げた。
...
-続-
漸く浦原さん登場です。…しかし…。張った伏線をその回でバラしてしまう自分の構成力の無さに好い加減嫌気が差すな。