糾弾
6.かんけり

小さい頃から 欲しかったものは時間だった。
兄弟と遊ぶ時間。
友達と遊ぶ時間。
もっともっと、勉強する時間。
両親と笑って兄弟と喧嘩して友達と悪戯する、時間。

小さい頃から 欲しかったものは
『生き続ける時間』。

こんな自分は、贅沢ですか?



...



 真夜中の住宅街。薄明かりの街灯に虫が群がり、その熱に身体を焦がされる音だけが嫌に響く。明かりの範囲は酷く狭く、その足元にしか光は及ばない。明かりよりも闇の方が主導権を握る静寂の時間。一護は、その中を只管に駆けていた。
 短距離を走る速さでもう既にどのくらい逃げたのか分からない程。もう3キロは走っただろうか。いや、まだ500メートルも行っていないかも知れない。どちらでも良い。とにかく、あの場所から出来るだけ遠くへ逃げなければならない。
 早く 速く 速く 速く 早く 早く、  早く 速く、 は や く !
 それは、リセイが判断するものではなく。ホンノウが告げる警告音。頭の中で煩く鳴り続けるそれに、背中を押されるように走り続ける。

 『アレは、ヤバイ。』

 夜の公園、街灯に照らされたソレは、明らかに『出遭ってはいけないモノ』だった。
 どうして声を掛けたりしたんだ。どうしてもっと早く逃げなかったんだ。どうして『関わろう』なんて、況してや『助けよう』なんて思ったんだ。
 アレは、ヤバイ。ヤバすぎる。どうしようもない。

 アレは、正真正銘の『バケモノ』だ───!

「ハッ、はぁっ は、はっ …っ!は、ハァっ!!──っ、あっ!」

 長く全速力で走ったからか、それとも恐怖に竦んだのか、足が縺れて無様にアスファルトに叩きつけられるように転倒した。

「ハァっ、くそ、はっ、ハァ、ぅ、くそ…っ、」

 がくがくと恐怖に震える身体。早く逃げなければ、と立ち上がろうとするも、疲労と恐怖に萎えた脚は言うことを聞かない。

「ぅ、うごけ、よ…っ!!くそ、動いて、くれ…っ!はやく、はっ、はゃ、く…」

 逃げなければ。

 もう、頭はその事しか考えていない。早く、出来るだけ早く、あの場所から離れなければいけない。あのバケモノが自分を追ってくる前に。あのバケモノにまた見付かる前に。あのバケモノに、捕まってしまわないように──…

「く、くそ…っ、なんの、ための脚、だよ…っ!!畜生!!動け、うごけよ…っ!!斬零の代わりに貰ったんだろうが!斬零が自由に動かせない分、俺が貰ったんだろうが…っ!!動けよ畜生っ!!」

 バシバシと、萎えて震えるだけの足を叱咤するように何度も叩く。痛みは伝わるのに、一向に動こうとしない脚に苛立ちだけが募る。
 こんなところで、死ぬわけにはいかないのに。もうすぐ、斬零が死んでしまう。自分の、唯一の兄貴が。自分の、片割れが。居なくなって、しまう…。それが嫌で抜け出しては来たけれど、『間に合わなくなる』わけにはいかない。

「ぅ、く、そ──っ き、吸血鬼、なんか、に… あんな、バケモノ、なんかに………」

 吸血鬼。吸血鬼、…バケモノ。
 ソレは、人とは、『違う』モノ。
 それまでは、御伽噺だと思っていた。唯の、作り話なのだと。
 実在している、なんて、一体誰が信じるというのだろうか。
 況してソレが、とんでもない程、「途轍もなく存在してはいけないモノ」であるなんて。
 追いつかれたら。
 見付かったら。
 また、出遭ってしまったら。

 終わり、なのだと。

「…っ、…………?」

 そこで、ふと。
 あることに気付く。

「……アレ…?」

 ドクドクと鳴り続ける心臓。恐怖に震える身体。萎える足を引き摺って。無様にアスファルトに這い蹲って。混乱し続ける頭で、鳴り続けるのは、警報。
 それでも。

「…なん、で………?」

 残る、疑問。

「ど、して…、追って、………?」

 どうして、『追ってこない?』

 あの公園から離れてどのくらいの時間が過ぎたのか分からない。相手が吸血鬼なのだと、本物のバケモノなのだと認識してからは脳が命令するよりも早く身体が脊髄反射で駆け出した。逃げろ、と。言われるまま、急かさせるまま、走り出した。
 それでも。
 今、此処でそのバケモノが、『影も形もない』のは不自然じゃないのか。
 どれだけ逃げたとしても、自分は人間だ。バケモノである吸血鬼相手に全速力で逃げたところで逃げ切れるわけもない。それなのにどうして。今、自分はこうして無事で居られるんだ…?

「………、……ぁ…?」



『逃げてください』



 あの時、言われた台詞を思い出す。
 そうだ。あの、バケモノは、脅える自分に対して『逃げろ』と言ったのだ。どうして突然…、否、最初から、あのバケモノは自分に『逃げろ』と言っていた。『逃げろ』と。『此処から離れろ』、と。怪我をしているのなら。瀕死の状態であるのなら。『俺』を喰らって回復する方法がある筈だ。吸血鬼とは、本来そういう存在だ。
 ならば何故。
 あの吸血鬼は最初から自分を逃がそうとしていたのか。

「…………、………」

 自分が走ってきた道に、視線を向ける。錯乱していたとはいえ、此処は自分の知る街だ。大体の距離も、帰り道も分かる。

「………」

 一護は、迷っていた。
 怖いのなら。殺されたくないのなら。化け物になりたくないのなら、逃げればいい。このまま走って此処から離れて病院へと、斬零の元へと戻ればいい。
 けれど。
 あの、苦しそうな表情をした、それなのに自分を逃がしたあの吸血鬼の顔が頭から離れない。

 果たして自分は。
 如何、したいのか。

「………」

 数瞬、迷ってから。


「…───クソっ!」


 一護は、今まで走ってきた道を戻るために駆け出した。



+ + +



「…さて。どうしまショウかね。」

 公園に身体を横たえて数時間。先刻の戦闘により流した血液は思いのほか多く、『彼奴ら』の力が大きくなっていることを身を持って実感させられた。否が応でも認めざるを得ないその事実は、衰退し始めていた『一族』にとっては致命的とは言わずとも絶望的なもの。
 動くためには動力が必要だ。それは、何者も変えようのない事実現象。それが、薔薇やワインでは補えないほどの傷であることは認識した。「最強」とまで言われた自分の称号を笑いつつ、自分の治癒能力を以ってしても全く癒える様子のない流血と、進んで行く腐敗。
 あぁ、もう此処まで来たのかと。自分の情けなさと気持ち悪さを嘲笑したところで。

「どうしようもないんですよねぇ…」

 そういえば。
 先ほどの太陽の色を持った少年は此処から逃げられただろうか。ヘタをすれば『彼奴ら』に見つかるかもしれないが、しかし、自分とは違う普通の人間である彼を彼奴らが如何にかするとは思えない。

「しかし、変わった少年でしたねぇ…」

 公園に倒れていただけの自分を助けようなどと。馬鹿なことをする人間も居たものだ。いや、それは『この国』だからかもしれないが。確かこの国には、まだ彼奴らの『支配』は及んでいない。だからこそ、自分は此処へと逃げてきたのだ。こうも早く追手に捕まるとは思いもしなかったが。しかし、あまり派手な抗争にならなかった点を見ると、矢張り彼奴らもこの国では公に暴れまわる許可を貰っては居ないようだ。

「なんにせよ、あの子が無事ならいいですけれどね。」

 そう言って。
 浦原が静かに眼を閉じようとした瞬間。


「あ!良かったまだ居た!」


 信じられない声が、公園に響き渡った。

「な…!」

 浦原は、眼を見開いたまま絶句した。

 何故先程自分が逃がしたはずの少年が、目の前に居るのだ。
 理解に苦しむ、という状況下、少年は信じられないことに笑顔を浦原に向けた。

「良かった。もうどっか違うトコ行ったのかと思った…。」

 言いながら、自分のシャツを引き千切り応急処置とでも言わんばかりに浦原の傷口に押し当てる。そんなことをしても、夥しい量の出血を見せる傷が塞がるはずもないのだが。

「なっ、何で戻ってきたんスか!ワタシは逃げろと言ったハズですよ?!!ワタシの『存在』が、まだ理解できてないんですかっ?!!」

 碌に動かすことの出来ない身体を無理に起こし、一護に怒鳴りつける。途端に身体を引き千切るような痛みが走る。呻いてその場に蹲ろうとする自分を、目の前の少年はゆっくりと優しく手を差し伸べ、自分が楽になるような姿勢に変えてくれた。

「な……、な、に…して…はゃ、く…にげ……」
「逃げねぇよ。俺は、アンタに用があってきたんだ。」
「…?」

 とうとう朦朧としてきた意識の中で、辛うじて残る理性が悲鳴をあげる。このままでは、不味い、と。理性の変わりに歓喜の声を上げるのは、自分の中に燻る到底常人のものではない、疎ましいほどの、本能。

「……げふっ、かふっ、っは………、……に、かく…はや、く…にげ…て…」
「だから、俺は…」
「早く!ワタシが…理性を、保っていられる…うちに…」
「………」

 自分は、バケモノだ。それは自負している。自分でこの道を選んだときから、そう、自覚している。吸血鬼という、『喰らう』ことを目的に生きている、何よりもケモノに近いバケモノだ。だからこそ、理性が保っていられるうちに、なんとかしたかった。今の自分では、『加減』して喰らう余裕などないだろう。それが出来ないのであれば、数分後、この少年に待っているのは文字通りの地獄でしかない。
 自分を助けようとする、この、愚かで優しい少年は…できるなら、殺したくない。
 だから…、

「逃げ……」
「なぁ。」

 言葉を遮って、少年はゆっくりと声を吐く。訝しげに空ろな目で少年を見つめる。もう、輪郭もはっきりとは捉えられない。

「アンタが…俺を、食ったとしたら、アンタは、回復すんのか…?」

 …何が、言いたいのだろう…。この少年は。

「………そう、ですね…アナタを全て喰らい尽くせば…完全体には、戻れます…ね。」

 どうして…自分は答えているのだろうか…。

「……じゃあ、俺、は…死ぬのか?それとも、吸血鬼に、なるのか…?」
「…………それ、は………。」
「なあ、教えてくれよ。………浦原、サン…。」

 あぁ、名前、覚えていてくれたの、か…。

「……ワタシが、アナタの血を喰らい尽くして、も……けふっ、その、後…ワタシがアナタの死体を喰らってしまえば、…吸血鬼、には…なりません、ね…。」
「…………、そっか。」

 ……何、が…聞きたいのだろう、か…
 この、少年、は───


「じゃあ、俺の血、アンタにやるよ。」


 朦朧とした意識の中。少年の腕に凭れながら。必死でホンノウを遠ざけて。
 待っていた少年の言葉は、あまりに突飛過ぎるものだった。

「………え?」
「だから、アンタが回復するために必要な血、俺のをやるよ。」
「……に、何、言って───」

 何度聞き返しても、信じられない言葉しか帰ってこない。グラグラする頭と視界で、とうとう耳まで壊れたか───

「そんかわり、さ。俺の頼みを、聞いてくんない、かな…」

 その後。
 現からゆっくりと手を放し、ホンノウへと身体を預けて闇の中。
 少年の願い事を頭の中で反芻しながら。
 暖かなその首に牙を押し当てて、最初で最後の、恨み言。


「              」


 …これが何もかも夢なら良いのに、と。
 ガラにもないことを考えた。



...


-続-


ふっほほーい(壊)
終わる気配が全く見えなーいvvv
っていうかコレ剣一って銘打っておいて、剣ちゃん殆ど出てきてないね…ぇ_ノ乙(ン、)_
この次の話が若干白黒っぽくなります。(黒白とは絶対に言わない)
ふ…次の更新…いつかな…(遠い目)